6冊目『グラスホッパー』伊坂幸太郎
こんにちは。今回紹介する本は伊坂幸太郎さんの『グラスホッパー』です。以前、本が好きな友人から伊坂幸太郎さんをオススメされたことを思い出して手に取ってみました。『グラスホッパー』を選んだのは少し前に映画化されていたこともあり、名前を知っていたからという理由です。
あらすじ
「復讐を横取りされた。嘘?」元教師の鈴木は、妻が殺した男が車に轢かれる瞬間を目撃する。どうやら「押し屋」と呼ばれる殺し屋の仕業らしい。鈴木は正体を探るため、彼の後を追う。一方、自殺専門の殺し屋・鯨、ナイフ使いの若者・蝉も「押し屋」を追い始める。それぞれの思惑の元に—「鈴木」「鯨」「蝉」、三人の思いが交錯するとき、物語は唸りをあげて動き出す。疾走感溢れる筆致で綴られた、分類不能の「殺し屋」小説。(背表紙より引用)
感想
僕が一番特徴的だと思ったのは、物語の最初から結末までの時の経過についてです。僕が今まで読んできたどの作品よりも時があまり経過しませんでした。そしてこの作品にはその分濃い時間が流れていました。まあ、時があまり経過しないのは視点が「鈴木」、「鯨」、「蝉」の三人で切り替わっていくせいでもあるのですが。
途切れない緊張がもたらす疾走感
「時があまり経過しない」と聞くと「サクサク話が進まないのでは?」と思う方もいるでしょうがそんなことはありません。あらすじにも書いてあるように「疾走感」があります。最初にあらすじを見た時「疾走感?」と思ってしまいましたが、読んでみるとそれがよく理解できました。
疾走感を生み出している要素としては、落ち着いた場面がほとんどないというところにあるかもしれません。三人(鈴木、鯨、蝉)は常に事件の中にいます。いつ一段落するのかとはらはらしながら読み進んでいくと、いつの間にか物語も佳境に入りそのまま結末を迎えてしまいます。物語の緊張感が常に途切れないのです。
ジャンル
作者の伊坂幸太郎さんをはじめ、様々な方が言うようにこの作品のジャンルは不思議です。「これだ!」というジャンルがないのです。アクション、サスペンス、コメディ、ハードボイルド—本当にいろいろな要素が含まれています。解説を書いた杉江さんによると、ハードボイルド色が際立っているということです。
非情な描写
なぜ、ハードボイルドなのか。杉江さんは、その理由は非情な描写にあると語っています。素人の私には「非情」と「ハードボイルド」の関係は思いつきませんでしたが、確かに非情な描写は本作の一つの大きな特徴でした。
あらすじにも書いてあるように、この作品には「殺し屋」が出てきます。そして、「殺し」のシーン—人が他者によって絶命する瞬間—があります。人が絶命させられるシーンなんて生で見たことのある人なんていないでしょう。だから文字だけを見てもそんな光景はなかなか想像しがたいと思います。
その点についてこの作品はすごいです。伊坂幸太郎さんの巧みな表現技法によって、語り手の目に入ってくる光景が恐ろしいほどリアルに思い浮かべることができます。リアルに思い浮かべられるのは非情なシーンに限ったことではないのですが、非情なシーンにおいては殊更にリアルなのです。
なぜそんなにリアルなのかというとここにも疾走感が関係してきます。例えば人が自動車にはねられるシーンがあるのですが、自動車が人とぶつかるなんて一瞬ですよね。語り手の目に飛び込むその一瞬スローモーションのように、丁寧に描写しています。スローモーションと疾走感。矛盾しているように聞こえるかもしれません。
しかし、そのスローモーションが人が絶命する瞬間を目にする生々しさを読み手にあたえます。語り手の生を感じさせてくれます。この、生々しさ、生といったものが疾走感として感じられるのです。
切り替わる三人の視点
この作品では「鈴木」、「鯨」、「蝉」の三人の視点が切り替わりながら物語が進んでいきます。読み始めた直後は視点が切り替わることによって、集中力が途切れるような、没入していた物語から覚めてしまうような感覚がありました。しかし、読み進めていくと三人の話が交錯していきます。すると、そのような感覚もなくなりました。読み終えた今となっては、あの切り替わる視点も疾走感を生む要因の一つであったということがわかりました。
最後に
この小説のあらすじを「疾走感溢れる筆致で綴られた、分類不能の「殺し屋」小説。」と考えた人は本当にすごいと思います。これ以上適切な言葉がわかりません。とにかく非常に疾走感満載なんです。どんな人にもおすすめできる一冊です。