大きい主語
私が「大きい主語」という言葉に触れたのは堀潤さんというジャーナリスト?(間違っていたら申し訳ありません)という方の熊本の復興についての話の中においてでした。ずいぶん前のことなので詳細ははっきりとは覚えていませんのでご了承ください。
被災地に関する報道等では「被災地では〜」とか「熊本では〜」などと報道されることが多いと思います。ここでいう「被災地」や「熊本」が大きい主語です。
実際、熊本の中でも地域単位で全然被害の実態、復興における課題などは変わっています。堀潤さんの話ではそれを大きい主語でひとくくりにするのは好ましくない、もっと「誰が何に困っているのか」を正確に伝えるべきだ、といった趣旨だったように記憶しております。(曖昧な記憶なので間違いがあるかもしれません…)
この話を聞いた時、「確かに何事においても大きい主語で一括りにするのはやめた方がいいな」と思いました。自分の過去を振り返ってみても、あのときなんとなく嫌に感じたのは大きい主語に一括りにされたからなのかなと思うようなことがいくつかあります。
例えば高校生のときに、「〇〇高校のあなたたちなら〜」みたいなことをよく言われてなんとなく不快に感じることがありました。
今思うと、大きな主語に一括りにされてたから不快に感じたのだと思います。そこにはきっと、「もっと個人として見てほしい」という気持ちがありました。
他の例としては、ある個人を「〜しているからいい人、〜しているから悪い人」などとするのも大きい主語の一つだと思います。
あくまで判断すべきは行動であり個人の人格ではありません。もちろん、たくさんの情報があれば人格を判断してもいいと思います。しかし、ある一つの行動を取り上げて「あいつは悪いやつだ」と決めつけるのはだめです。悪いのは「あいつ」じゃなくて「あいつのした行為」でしょう。
大きくまとめて判断しないで、個別の事柄をそれぞれ判断できるようになりたいです。そんな社会になれたらいいなとも思います。